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古代から江戸にかけての歴史

古代、南部にまで海が迫っており、人が住み始めたのは現在の北東部の台地であると推測されています。旧石器時代の遺跡が天神山に残っており、縄文時代の遺跡が猿害や新郷、石神など多くの場所にあり、海辺での生活を営んでいたことを知ることができます。後に荒川や芝川などの河川の沿岸では農業が行われていたことも分かっています。上野という地名は、旧入間川の河口にあったためと言われています。1180年(治承4年)に源頼朝が挙兵した際に弟の義経が鎌倉に向かう途中にここの渡しで兵力の増強を図ったことが義経記に記されており、そこではすでにこの地名が使われていたことが明らかになっています。

 

戦国時代に入り、当時の強大な勢力であった太田氏や北条氏の支配を受けることになります。見沼や赤堀の用水が灌漑治水に役立てられ、農業が発展します。江戸時代に日光御成道が敷かれ、鳩ヶ谷や川口に宿場が置かれることになりました。徳川家康の霊廟が日光に移された1617年(元和3年)から整備が行われ、将軍の日光参詣に使用される休憩所が錫杖寺に置かれ、宿泊や人馬の継立などを行う問屋場が街道沿いに置かれました。以来、宿場町として栄えることになり、現在の地域一帯には50を超える村があったと言われています。土木工事の技術が発展し、河川の改修や用水路の建設などに優れていたことが記録されています。
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